【後編】めざせ!webデザイナー。1998年10月、希望に満ち溢れ100万円を自己投資。そして念願叶いweb制作会社へ就職。そして1年後、まさかのフリーランスとなった男の記録。

 (←フォロワー質問大歓迎 / 可能な範囲でお答えします)

私にとっての運命の本。今でも大切に手元にとってある。

 

 

(はじめに)


この記事は、これからフリーランス(webデザイナー)になりたい人や、
今webデザインの勉強をしてる人へ向けて自分の過去の経緯を簡単にまとめたものです。

前編はwebデザイナーを目指し就職活動に入るまで。
後半は就職してからフリーランスになるまでの2部構成です。

さらに続きとして、フリーランス活動編として1年目〜3年目(模索下積み時期として/3年分) までの内容と、4年目〜6年目として(軌道時期 / 3年分)までの内容を、 実際の<年収=売上げと所得/確定申告内容>も合わせて公開致します。

*尚、あえて年商ではなく年収としています。
(仕入れ・在庫が無いのでほぼ売上がそのまま収入に反映される為)

小さな情報ですが1人でも多くの人の参考になれば光栄です。

2018年11月 / (株)カトリデザイン事務所:代表取締役 カトリツトム

もくじ:webデザイナ年収-フリーランス


就職活動。30社連敗。


webスクールで作った自作の実績4パターンをひっさげていざ就職活動を開始!私は自身に満ちあふれていた。募集要項で「学歴不問:未経験可」の文字を見つけ、最低給料20万より、勤務地:都内。など条件は多少付けたものの、私の自作実績を見せれば直に職は見つかると思っていた。

しかし!結果30社全て不採用。うち、書類選考で半分落とされると言うショッキングな結果に。自分が情けなくなったと言うか、天狗の鼻をへし折られた気持ちになった。

例えばとある会社へ面接へ行った時、当時40歳代くらいの女性社長が履歴書を見てこう言った。

  • 女社長:「カトリさんはどこの美大を卒業してますか?」
  • 私:「・・・。美大は出ていません」
  • 女社長:「あそう。うちはねぇ、美大卒しか採用しないの」
  • 私:「そうですか・・。失礼致します(こんのやろ〜!募集要項に書いておけ!)」

4月にスクールを修了し、5月〜7月の3ヵ月間の就職活動中の出来事であった。

8月、某制作会社へ無事就職。


あの夏を私は忘れない。3ヵ月就職が決まらず、半分嫌気になり雑に新聞折り込みの求人情報を見ているとそこに「web制作:営業兼デザイナー募集」の文字を見つけた。しかも家から距離も近い。「営業」と言う言葉にかなりの違和感があったが家にいてもやる事がない。不採用で返却された履歴書の封筒をそのまま持ち、ならば暇つぶしに”行ってやろう”と早速電話してみた。そしてそのまま当日面接に行く事になる。

スーツでママチャリ(自転車)をコイで会社前で停めた。その会社は3人でやってる小さい会社で、オフィスはマンションの一室を使って業務していた。広めの1ルーム。一件家に見えるその会社っぽくない仕事スタイルに私は見た瞬間に憧れてを抱いてしまった。そしてフカフカのソファーに座って社長と面接。慣れないスーツもこの3ヵ月ですっかり違和感なくネクタイを締めれるようになっていた。

  • 社長「営業の経験は?」
  • 私「ありません」
  • 社長「そう、じゃ、追って結果は連絡します」

実に単調な面接だった。私も暇つぶし感覚の気持ちの緩みもあり、何とも思わずにそのまま帰った。ちなみにこの日に限って私は鞄を持っていかなかった。履歴書を内ポケットから出して面接に挑む就活人は私くらいだったかもしれない。しかし翌日「採用」の電話が来たのだ。

営業マンに必要な物。


営業マンに必要な物。名刺と鞄だ。私は入社して早々だが、名刺の肩書きを「営業」ではなく、「webデザイナー」にして欲しいと祈願。社長は渋っていたが、出来た名刺を見たら「webコーディネーター」となっていた。「ま、悪くはないか。」私は心の中でつぶやいた。

そして鞄に関しては社長が私に新しい鞄を買ってくれると言うので店へ行った。あの日の事は今でもはっきり覚えている。

  • 社長「好きな鞄を選びなさい」
  • 私「はい。では一番上の棚にあるアルミのアタッシュケースがいいです」
  • 社長「10年早い、これにしなさい」

実に単調な鞄を<肩から斜めにかけて>私は店を出た。

デザインしたければ自分で営業してきなさい。


デザインしたくても仕事が無かった。だから自分で営業する事になるのだが、飛込み営業なんて100件入って2~3件話しを聞いてくれるレベルで、商談成立なんて0.0%の世界だ。夏の日差しが照りつける中、私は何件ものオフィスへ足を運んだ。そして「セールスお断り」のドア札を見る度にマジックで「セールス(を)断り(ません)」に変えてやりたい気持ちになった。

結局仕事は取れず1ヵ月がたった頃、社長が私に自社HPのリニューアルをしたいからそっちの作業を先にやってくれ。と頼まれた。私は嬉しかった。さっそく取りかかり2週間程で作り上げた。

  • 私「リニューアルできました」
  • 社長「デザインいいね」
  • 私「webデザイナー志望って面接で言いました笑」
  • 社長「ちょうど何件か仕事入ったから営業はもういいや」

嬉しいに決まってる。その場でスーツを脱ぎ捨ててやりたい気持ちを抑え、私は晴れてwebデザイナーとして採用されたのだ。*営業はベテランの関西人さんが別で採用された。

会社経営が傾く。給料3ヵ月分の未払い。


1999年9月の後半に入った頃、社員の先輩が私に「この会社来年くらいに潰れるかもよ」と言って来た。どうも資金繰りに困っているようだ。ちょうどその先輩に続けてこう言われた「カトリくんも、次の仕事探した方が良いよ。あと自分のドメイン取っておくと良いよ」と。1999年10月25日私は後のフリーランスの屋号となる初めてのドメイン(http://2106.net)を取得した。

会社での貴重な実績と経験


この会社で経験出来た事が、後のフリーランスに役立っている事はかなり多い。内勤のwebデザイナーになれた私は、日々、企業のホームページ制作に勤しんでいた。当時の会社営業スタイルは「レンタルサーバー」を売込みして、契約した場合は簡易的なホームページを「無料」で作ります。と言う内容だった。おかげで5p程度の小さいホームページながら、50サイトくらいのデザインとコーディングの実績を積む事が出来た。

制作時、主にホームページに載せる<素材情報>は、クライアントからメールで頂くのだが、当時一番記憶に残っている<素材情報>が「求人雑誌」掲載欄(四角い紙切れ)のみ。これで5p作らなければならない状況で何とか作り上げたのだが、我ながら自分の想像力を褒めてやりたい。

また遠く電車に乗り、ホームページ制作の素材撮影にもデジカメをもって行ったりもした。クライアントから直接デザインを褒められる時もあり、私はとても仕事が楽しかった。

会社の残り仕事をしながら、フリーランス体制へ。


そして2000年の春頃に嫌な予想的中。3ヵ月分の給料が保留され会社は倒産寸前。しかし幸いな事に私は1999年10月25日のドメインを取ってから「お仕事掲示板BBS」を経由し会社勤めをしながら副業として小さな仕事を請負う機会を頂けフリーランスとしても兼業する体制とをとっていた。

そして近くマンション(事務所)を閉鎖すると言われ、新しい会社に転職するか迷ったが、既存クライアントの更新契約が事務所閉鎖以降も3ヶ月ほど残ってる事を告げられて、事務所は閉鎖で無くなるがどうにか更新対応を「月5万円」で引き継いでくれと社長に頼まれた。そして3ヵ月分の未払い給料の替わりに職場の一室で使用していた「家電」「家具」「仕事道具一式」全てもらう事を約束。

こうして私は月5万をもらいつつ、お仕事掲示板BBSからの仕事を合わせ、地元の東京都豊島区南大塚の6畳一間のアパートで初1人暮らしをスタート。「屋号:2106.net(ツトムネット)」SOHOフリーランスwebデザイナーとしての活動を始める事に。

SEASONS(浜崎あゆみ) がマイブームだった2000年9月頃の出来事である。

(後編 / 完)


もくじ:webデザイナ年収-フリーランス


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